『東野圭吾』(ひがしのけいご)

サスペンス系としてのイメージが強い

ベストセラー作家である東野圭吾ですが、2015年でデビュー30周年を迎えます。
小説家として歩み始めてはや30年。
2014年からは直木賞の選考委員となっています。

どの作品も強く印象に残るものばかり。
中でも、ガリレオシリーズはとても有名です。
映像化された作品も多く、韓国でも大人気の作家なのだとか。

東野圭吾のガリレオシリーズは、一気に読みふけったという方が多いのではないでしょうか。
それくらい人気のシリーズですし、東野圭吾を一躍有名にした作品でもあります。

東野圭吾は幼少の頃、「とうの」という読み方だったそうですが、のちに両親が「ひがしの」という読み方に変えています。
その経験からデビュー作が生まれ、とんとん拍子で小説家の道を歩んでいます。

東野圭吾の代表作品

東野圭吾といえば、サスペンス系小説をイメージされる方が多いのではないでしょうか。
探偵や犯罪、そんな怪しい影が色めく内容が好きな方にはぴったりの作者。

代表作といえば、ドラマ化、映画化もされた「白夜行」や、夢幻花、魔球、放課後など。
「放課後」は第31回江戸川乱歩賞を受賞した作品で、その後も様々な作品を手掛け、日本推理作家協会賞や新風賞、吉川英治文学賞など。
多様な賞を受賞しています。

作者の生い立ち

1958年2月4日生まれの東野圭吾は、大阪府大阪市生野区に生まれ、当時の街は1999年に刊行された白夜行や浪速少年探偵団シリーズの舞台となっています。
幼いころのことを綴っていた東野圭吾のエッセイ作品「あの頃僕らはアホでした」によると、東野圭吾は読書少年でもなく、成績はオール3という普通の少年でした。

高校2年生の時に、偶然手に取った小説を読み、推理小説に初めてはまったそうです。
そこで、江戸川乱歩賞の存在を知って、推理小説を書き始めるようになります。

処女作は「アンドロイドは警告する」です。
この作品は現在まで公開されていません。

高校卒業した後、東野は浪人生活に入ります。
1年を経て、大阪府立大学工学部電気工学科に進学しました。
在学中はアーチェリー部の首相を務めていて、デビュー作品の「放課後」では題材として使用されています。

大学卒業後には、日本電装株式会社の技術者として入社しています。
勤務のかたわらに推理小説を書いて、1983年、「人形たちの家」という作品で江戸川乱歩賞に応募しました。
結果は二次予選通過でした。

江戸川乱歩賞を受賞したのは、結局1985年のこと。
「放課後」を書き直し、小説家としてのキャリアをスタートさせました。

1986年には日本電装株式会社を退職しています。
3月の上京後、専業作家としての道を歩みました。