東京大学を卒業後に小説家や文筆家になった人の数はなんと154名にも上ります。
インディースな小説家から歴史的な小説家を輩出している東京大学。
東京大学は世界トップ23位の学力を誇る大学ですが、「東京大学」に名前が変更されたはつい最近です。
もともとは明治になってから設立された日本帝国大学のひとつでした。
旧帝国大学の流れをくむ大学は、東京大学、東北大学、九州大学、北海道大学の4つが日本国内に存在します。
東京大学は高等教育のヒエラルキーのトップに君臨する「ザ・ユニバーシティ」ともいえる存在です。
卒業生の中には、有名な小説家も数多く含まれており名前を聞いたことがある小説家も数多くいます。
そこで、東京大学出身の有名な小説家をピックアップして紹介してみました。
東京大学出身の小説家3選完全版
三島由紀夫
- 本名: 平岡 公威(ひらおか きみたけ)
- 生年月日:1925年
- 出身地:東京都四谷区永住町2番地
代表作品
潮騒(1954年)
- 近代能楽集(1956年)
- 金閣寺(1956年)
- 鹿鳴館(1956年)
- 鏡子の家(1959年)
- 憂国(1961年)
- サド侯爵夫人(1965年)
- 豊饒の海(1965年-1970年)
出典引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/三島由紀夫#終戦後の苦悶と焦燥
戦後の日本を代表する小説家として知られている三島由紀夫はノーベル文学賞候補にも選ばれた天才小説家です。日本国内だけでなく、海外でもその実力は認められていました。
エスクァイア・マガジンで日本人初の世界の百人に選ばれた小説家です。晩年は「盾の会」を結成し自衛隊市谷基地で陸上自衛隊東部方面総督を監禁。隊員にバルコニーからクーデターを呼びかけますが、その後自ら命を絶ちます。彼が最後に言い残した
「ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。」
は、あまりにも有名。この名言の解釈について現在でも議論が活発に行われています、
夏目漱石
- 本名: 夏目 金之助(なつめ きんのすけ)
- 俳号:愚陀仏
- 生年月日:1867年
- 出身: 東京都新宿区喜久井町
代表作品
- 吾輩は猫である(1905年)
- 坊っちゃん(1906年)
- 草枕(1906年)
- 三四郎(1908年)
- それから(1910年)
- 門(1911年)
- 彼岸過迄(1912年)
- 行人(1914年)
- こゝろ(1914年)
- 明暗(1916年)
出典引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/夏目漱石
夏目漱石は幕末の乱世に生を受けました。父は高田馬場一帯を治める名手で、玄関先で民事訴訟をさばくほどの権力者でした。
明示の混乱期に生後すぐに四谷の古道具屋に里子に出されるなど、生まれた時から波乱な人生を送る運命だったようです。正岡子規と交友があり、漱石となのりだしたのはこのころからだそうです。
また、千円札(1984年~2004年)の肖像としても有名です。
大江健三郎
- 本名: 大江健三郎(おおえ けんざぶろう)
- 生年月日:1935年
- 出身: 愛媛県喜多郡大瀬村
代表作
- 飼育(1958年)
- 芽むしり仔撃ち(1958年)
- 個人的な体験(1964年)
- 万延元年のフットボール(1967年)
- 洪水はわが魂に及び(1973年)
- 同時代ゲーム(1979年)
- 新しい人よ眼ざめよ(1983年)
- 懐かしい年への手紙(1987年)
- 燃えあがる緑の木(1993年 – 1995年)
- 取り替え子(2000年)
出典引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/大江健三郎
戦後初のノーベル文学賞をとった戦後小説家の最高峰。現在も存命中の日本の有名小説家です。
今回調べて挙げた作品の中でも私もまだ読めていないものがあります。
そもそも、なぜ今回東京大学出身の小説家にフューチャーさせて頂いたかというと、私が東京大学在学中だからなのです。
東京大学が置かれた本郷地区を中心に印刷、出版業が増え、文化人も集まったと言われていたので、本読みの私もその文化人の1人になることに憧れていたのですが、1年生は駒場キャンパスに通うということで、念願の本郷キャンパスに住めるのは3年生以降になりそうです。
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それも一つ先の楽しみが増えたということで前向きに考えて、のんびりと文豪たちの本を読み進めたいと思います。